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nodakumamoto’s blog

書評サイト。日本、海外の小説をメインに週一ぐらいの更新予定。

レアード・ハント「優しい鬼」

 一人の白人女性が語る、ある家庭の陰惨で暴力的な物語が主軸となっている。背景は、黒人奴隷制が当たり前だった南北戦争以前のアメリカで、今から一世紀以上昔の話だけあって、現代日本とは何もかもが遠く、まるで異世界の話を読んでいるような心地になる。

 自宅に広大な農園があるという男の話を真に受けて、女の両親は、まだ十四歳の娘を嫁にいかせる。実際は、前妻との娘二人と、あとは奴隷が数名といったところで、立派とは言い難い納屋や畑があるだけだった。騙されるようにして結婚生活を始めた女は、何年も何年も夫から日常的に繰り返し受ける暴力により、自らもまた、他者に対して習慣的に暴力を振るうようになる。

 語り手は、これら残酷な事件を、遥か後年から回想しており、淡々とした口調で狂気じみた暴力の行使が語られる。この語り口調が本書の大きな特徴だ。無教養な、洗練されていない環境に育ったという人物設定なので、言葉自体が非常に回りくどく、要領を得ない。あえて、通常我々が見る文章よりも、ひらがなを多用している。しかしそのぐるぐるといつまでも徘徊するような言葉の中から、迫真の、いたたまれなくなるような登場人物の肉声が聞こえてくる。

 ただ、延々と露悪的に暴力や狂気のみを描いているわけではない。後半の展開に至れば、前半の執拗なそういったシーンも、人間の醜さや美しさを浮き彫りにする上でどうしても必要なものだったのかもしれないと、納得できる。

 また、特筆すべきは、この物語の語り口調と関連することでもあるが、放縦ともいえるほど随所にあらわれる幻想描写だろう。アルコフィブラスという印象的なキャラクターが特にそうだが、現実が奇妙な形で入り込んだ幻惑的な挿話や、脈絡がありそうでない悪夢のようなシーンが、本書では頻出する。

 正直に言って、気軽に読める小説とは言えない。翻訳者の柴田元幸さんが、相当な努力を注いで日本語として読みやすくしていると思われるが、それでもかなり集中力を要求される読書になるだろう。

 

ここぞ! の引用

 

 わたしの真四角の王国の話をしたい。王国の一角にはアルコフィブラスが住んでいていろんな話をつむぎ出している納屋と、かれがしばりつけられ鞭打たれて来世へ送りこまれたカシの木があった。べつの一角にはわたしが六年間くらしライナス・ランカスターがかよいをおこないわたしたちみんなの主人であった、いまや死者として君臨していたみじめな家。三つめの一角はホレスとユリシーズがたがやした川ぞいの畑に通じるちいさな橋。かつてはその畑に馬が食む草がありかつてはわたしがみんなといっしょに気ままにあそびまわり、いまでは豚たちが森からやって来てはジゴクのへりの黒い浜辺でたわむれるヒレ足つきの動物みたいにその巨大なからだをゴロゴロころがしていた。四つめの角は鎖があってネズミたちのいる物置小屋だった。まんなかに深い井戸があってわたしたちはそこから水をくみ上げ、水が凍ると石を落として氷をわった。まわりは四方とも森だった。森を野道が一本つらぬいていた。その道を、架空のわたしがとっとっと下っていく。木の葉に照らされた空へ架空のわたしがのぼってゆく。黒いケンタッキーの土のなかに架空のわたしがしずんでゆく。井戸を下って、若きクリオミーの幽霊がぶら下がったまえを過ぎ、そのまま大地のはてしない水をつらぬいて架空のわたしがおよいでいく。

 

 一例をあげたが、このように、ほぼ全編通して、語り手の肉声と向き合っているような感覚を味わうことになる。その中で、少しずつ真相らしきものが明らかになっていく。歴史的な事件を教科書的に解説してくれることはないが、その時代の渦中で生きた人々を通して、その背後に歴史や社会が浮かび上がってくる。

 結局、タイトルの「優しい鬼」がいまだに僕にはわからない。原タイトルは「kind one」だ。「優しい一つ」と直訳しては意味がわからないのは確かだが、それにしても鬼とは何か。桃太郎に出てくるような鬼なのか、はたまた中国語での意味すなわちゴーストなのか、あるいは性格描写としての鬼なのか……本書の序盤で一応ヒントというか、鬼に言及している場面があるが、やはりはっきりとはわからない。

なんなんだろう。

 

 

 

優しい鬼

優しい鬼